chapter01

Ep01_廃部と残響

Chapter 01 - Ep01: 廃部と残響

* * *

◆01◆

「――あれ?」

新入生歓迎会で賑わうキャンパス。 色とりどりのビラが舞い、勧誘の声が飛び交う中、私は立ち尽くしていた。

ない。 どこを探しても、『軽音楽研究会』の文字が見当たらない。

パンフレットのサークル一覧にも名前がない。 メインストリートに並ぶブースを端から端まで見ても、それらしい姿はどこにもなかった。

「あの、すみません」

不安に駆られて、近くにいた実行委員らしき学生に声をかける。

「軽音サークルって、どこで勧誘やってますか?」

「え? 軽音?」

彼は手元のリストに視線を落とし、少し困ったように眉を下げた。

「あー……そこ、登録ないですね。廃部になったんじゃないかな」

「……え」

その言葉は、あまりにもあっけなく響いた。

信じられなくて、私は学生課の窓口へ走った。 けれど、そこで待っていたのは、冷酷な事実の追認だけだった。

「ああ、軽音研ね。昨年度で最後の部員が卒業して、現在は在籍ゼロ。規定により廃部です」

事務的な手つきで書類を揃えながら、職員は淡々と告げる。

「そ、そんな……」

私――響乃理(Hibino Kotori)は、この春に入学したばかりの一年生だ。 期待に胸を膨らませて、この場所に来たはずだった。 でも、そこで待っていたのは「歓迎」ではなく「終了」の宣告だった。

「響乃さん、だっけ? まあ、ドンマイ。サークルなんて他にもあるし」

職員は私の顔も見ずに、次の書類に判子を押した。

カタン。

その乾いた音が、私の「これから始まるはずだった場所」の終わりを告げるピリオドのように聞こえた。

私は頭を下げ、逃げるように部屋を出た。

* * *

◆02◆

四月の風は、まだ少し冷たい。

外に出ると、圧倒的な「白」が目に飛び込んできた。

青藍大学は、丘陵の小高い丘の上に要塞のように鎮座している。 広大な敷地に立ち並ぶ校舎群は、すべて白を基調としたモダンなデザインで統一されており、雲ひとつない青空とのコントラストが眩しいほどだ。

頭上を、モノレールが静かな走行音を残して滑っていく。 駅からキャンパスへと続く長いペデストリアンデッキには、色とりどりのサークルの看板が溢れていた。

「テニスサークル、新入生歓迎!」 「演劇部、春公演やります!」

飛び交う勧誘の声。 希望に満ちた笑顔、笑顔、笑顔。

そのすべてが、今の私には眩しすぎて、そして酷く遠い。

「……」

ギターケースのベルトが、肩に食い込む。 祖父から譲り受けた、古いアコースティックギター。

大学に入ったら、バンドを組もうと思っていた。 このギターで、誰かと音を合わせたかった。

でも、その場所はもうない。

「……帰ろ」

誰に言うでもなく呟いて、私は喧騒から背を向けた。 白すぎる校舎が、なんだか作り物めいて見えて、少しだけ息苦しかった。

* * *

◆03◆

都賀町は、空が広い街だ。

なだらかな丘陵を切り開いて作られたこの街は、高い建物が少ないせいか、夕暮れ時になると空全体が燃えるようなオレンジ色に染まる。 頭上を、モノレールの軌道が空を裂くように、緩やかなカーブを描いて伸びている。

駅前のショッピングモールを抜け、古い商店街を通り過ぎると、視界が一気に開ける。

私はいつものように、一級河川の広い河川敷へと足を運んでいた。

鉄橋の下。 土手のコンクリートに腰を下ろす。

ゴォォォォ……。

頭上を、モノレールが通り過ぎていく。 その規則的なリズムだけが、今の私の心に寄り添ってくれる気がした。

ケースを開け、飴色に焼けたギターを取り出す。 ボディを抱えると、木の匂いがふわりと鼻をかすめた。

指で弦を弾き、Eコードを鳴らす。

ポロン……。

頼りない音が、川風にさらわれて消えていく。

「はぁ……」

ため息をつきながら、適当なフレーズを爪弾く。 曲なんてない。ただの指の運動。

でも、不思議と指は止まらなかった。

悔しさ。 情けなさ。 孤独。

言葉にできない感情が、指先を通して弦に伝わる。 強く、弱く、速く、遅く。

私の内側にある「モヤモヤしたもの」が、音という形になって吐き出されていく。

(もっと、響け)

強くピッキングした瞬間。

キーン――。

耳の奥で、微かに高い音が鳴った。 ギターの共鳴(レゾナンス)なのか、それとも集中しすぎて変な感覚になっただけか。

ふと、視界の端で何かがチラついた気がした。

「ん……?」

顔を上げる。

土手に等間隔で並んでいる街灯。 その光が――気のせいかもしれないけど――微かに揺らいだような。

もう一度、弦を鳴らしてみる。

ポロン。

パチッ。

……やっぱり、揺れた? それとも風で電線が揺れてるだけ?

「疲れてるのかな」

苦笑しながら、目を閉じる。 きっと、今日一日のストレスで変な感覚になってるだけだ。 廃部のショックで、頭がおかしくなったのかもしれない。

それでも、なぜか手は止まらなかった。 夢中でギターを弾き続ける。

音が風に乗って、川の向こうまで運ばれていく。

私の音。 誰にも聴かれない、私だけの音。

それでも、今は――それでいいと思えた。

* * *

◆04◆

「――BPM84」

不意に、声がした。

「えっ」

弾かれたように振り返る。 いつの間にか、私のすぐ背後に誰かが立っていた。

小柄な影。 大きなヘッドホンを首にかけ、ダボッとしたパーカーのフードを目深に被っている。 夕闇の中で、色素の薄い瞳だけが、静かにこちらを見つめていた。

「そのカッティング、結構いいテンポだった」

少女は、淡々とした声でそう言った。 手にはコンビニの袋。中にはエナジードリンクが見える。

「あ、あの……見てた、んですか?」

「聴こえてた」

彼女は一歩、私に近づいた。 そして、私が座っているコンクリートの隣に、無造作に腰を下ろす。

「もう一回、弾いて」

「え……」

「さっきの続き」

突然のリクエストに戸惑う。 でも、彼女の目は真剣だった。 まるで、何か大切なものを確かめようとしているような。

「あ、はい……」

私は恐る恐る、さっきと同じフレーズを弾く。 Eコードのカッティング。 単純なリズムパターン。

彼女は目を閉じて、じっと聴いている。 ヘッドホンから微かに、何かの音が漏れている気がした。

「……やっぱり」

彼女が呟く。

「やっぱり、なんですか?」

「君の音、面白い」

面白い? どういう意味だろう。 上手いって意味じゃなさそうだ。

「あの、私……」

「バンド、やってる?」

彼女は私の言葉を遮って、ストレートに訊いてきた。

「い、いえ。今日聞いたら、廃部になっちゃって……というか、入ろうとしたら廃部だったんです」

「ちょうどいい」

彼女は立ち上がり、コンビニ袋からエナジードリンクを取り出した。 プシュッと缶を開け、一口飲む。

「私、キーボード。君、ギターとボーカルでしょ。二人いれば、とりあえず音は出せる」

「え、ええっ?」

展開が急すぎてついていけない。 そもそも、この人は誰なんだ。

「あの……お名前、聞いてもいいですか?」

「雨宮澪(Amamiya Mio)。三年、情報科学部」

澪さん。 私より二つ上の先輩、ということになる。

「私は響乃理です。一年で……」

「知ってる」

え、知ってる?

「君のこと、ずっと探してたから」

「え……?」

どういうことだろう。 初対面のはずなのに。 でも、彼女の瞳は嘘をついているようには見えなかった。 むしろ、ずっと前から私を知っているような――そんな不思議な親密さを湛えていた。

「……秘密」

彼女は短くそう言って、ふいっと視線を逸らした。

その横顔があまりに綺麗で、私はそれ以上何も聞けなくなってしまった。 ただ、彼女が纏う空気が、どこか痛々しいほどに張り詰めていることだけは分かった。

「あの……音楽、好きなんですか?」

沈黙に耐えかねて、私はありきたりな質問を投げかけた。 すると、彼女は少しだけ考え込むように首を傾げる。

「好きというか……必要」

澪さんは、空を見上げた。 夕焼けが、彼女の横顔を赤く染めている。

「私ね、探してたんだ。一緒に音を出せる人」

そう言って、彼女は私を見る。 その瞳には、言葉にならない何かが宿っていた。

孤独? それとも、渇望?

どちらにせよ――それは、今の私と同じものだった気がした。

「……やってみます」

気がつけば、私はそう答えていた。

「明日、旧音響実験棟の地下においで。使える機材がある」

澪さんは缶を飲み干し、ゴミ箱に投げ入れる。 カラン、と乾いた音が響いた。

「じゃあ、また明日」

そう言い残して、彼女は土手を登っていく。 その背中は、どこか寂しげで――でも、どこか強かった。

私は呆然と、彼女の姿が見えなくなるまで見送っていた。

風が吹く。 ギターケースの中で、弦が微かに震える。

何が起きたんだろう。 でも、不思議と嫌な感じはしなかった。

むしろ―― 久しぶりに、明日が楽しみだと思えた。

* * *

【あとがき】

Ep01、ここまで読んでいただきありがとうございます!

廃部を告げられた理と、謎めいた先輩・澪の出会い。 二人の音楽の旅が、ここから始まります。

「君の音、面白い」――この一言に、どんな意味が込められているのか。 澪が「ずっと探してた」理由とは何なのか。 そして、演奏に合わせて揺らいだ街灯の意味とは……?

次回は澪の視点から、二人の関係がさらに深まります。 お楽しみに。

面白いと思っていただけたら、ぜひ【★★★】評価やブックマークをお願いします! 感想もお待ちしています。